理系的美人論~非モテ男が美人をものにするための基礎理論
妄想話が続いているようなので、ちょっとマジメでためになりそうでためにならない話をしようかと思います。
よく
「自分が美人だと自覚している女は性格が悪い」
といわれます。
たしかに、そういう類の美人は男に対して甘え上手だったり、あるいは「気があるようなフリをして」適度な距離感で男を生殺しにします。
これは「性格が悪い」というよりも、自分の価値感を分かっている上で「女性」という武器をうまく使っている人達です。
そもそもそうした美人達はどうやって自分が美人と気が付くのでしょうか。
ほとんどの人間は、自分の顔を見慣れているので、自分の顔がどのくらいの偏差値なのかは、なかなか気がつけません。
初期状態では、不細工な人も自分が不細工であるとは思ってませんし、美形な人も同様なのです。
「自己美人偏差値を把握している」美人は、自分が友人達と過ごしていく中で、自分やその友人達に対する男達の反応で相対比較を続け、「誰より上」「誰より下」というふるいを何百、何千とした結果、ほぼ正確なポテンシャルを把握するようになります。
そうです。
数値計算法で言うところのブレント法とか二分法に相当する反復計算を人生の中で繰り返してきたといえます。
そして「自己美人偏差値を把握している」美人は、繰り返される反復法的な計算の結果、自分の美人偏差値を算出すると同時に、副次解として自分に釣り合う男性のグレードを算出しています。
つまり、「自己美人偏差値を把握している」美人は、近づいてくる男性に対して随時「私に相応しいか」を判断しています。
非モテ男は、こうした美人を攻略するのは避けるべきなのは明解ですね。
狙うべきは、こうした経験を一際せずにきた美人です。
非常に希少種ではありますが。
美人偏差値を算出するための反復計算をしてこなかった類の美人は、自己美人偏差値という概念すら持ち合わせていないので、近づいてくる男性に対して事前審査をしません。
非モテ男であっても、攻め方を間違えなければ攻略できる可能性が非常に高いです。
「最高じゃないか」
そう、思うでしょう?
しかし、こうした 「天然培養の美人」には大きな欠点があるのです。
もともと、そうした相対的な自己評価をしてこなかったということは、男性という存在に関心がそれほどないと言うことも考えられるのです。
もしかすると、自分が女であると言うことすら、自覚がそれほどないのかも知れません。
こうした「天然培養の美人」は、寄ってきた男性を事前審査しないので対等に扱いますし、自分が女性であるという自覚もあまりないために、気が付けば寄ってきた男性のほとんどとお友達になっています。
そうです。
見かけ上は、自分の惑星軌道上に生殺しの男性を公転周回させている、前段で紹介した「自己美人偏差値を把握している」美人と変わらない 恒星系を形成している事が多いのです。
結果として、美人の周りには取り巻きの男は多いので、見分けはほとんど不可能なのです。
昆虫で言うところの、ハチとスカシバ科の蛾の見分けよりも難しいと言えます。
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となると、どっちの美人に取り憑いても、男性側からすれば「あの美人はボクを付かず離さずの距離に置いている。性格が悪い」という結論に行きがちなのです。
「性格が悪い」「美人」はたしかにいますが、たいていの美人には「悪意がない」のです。
さて、しばしば
「非モテ男が猛烈アタックをして美人をものにした」
というエピソードを聞きますが、これは大抵後者の「天然培養の美人」へのアタックケースです。
自分に対する過度なアタックに対してやっと「あ、私に女としての関心があるのか」と気が付くわけですね。
で、非モテ男が前者の「自己美人偏差値を把握している」美人 に猛烈アタックをやるとストーカーとして通報されます(笑)。
では、この2種類の美人の見極め方法はあるのでしょうか。
その答えは、ここまでの分析力がありながら、いまだボクが非モテ男種に分類され続けていることから察してください。