非モテサバイバル

相手がいなければどうということはない

骨董通りも知らないはあちゅうは、やっぱり素人


はあちゅう(伊藤春香) 骨董通りも知らない男は、女子のエスコートなんて出来ない<東京いい店 やられる店> - 幻冬舎plus

実は私も「骨董通り」を最近まで知らなくて、某骨董通り沿いのレストランに、道案内をお願いする電話をしたら、
「骨董通りがわからないなら案内しようがないですね」

と言われる屈辱的な体験をしました。

 

骨董通りを知らないばかりか、

 

骨董通りがわからないなら案内しようがないですね

 

とかいうレベルの低いレストランを選択している時点で、やっぱり素人と言わざるを得ません。ちゃんとした店なら、たとえ安い店であっても自分の店への案内をおざなりにはしません。

 「ご飯の相性が二人の相性である」と美女はさらに続けます。

 これはある意味でその通りでしょう。

家族もそうですし、仕事などでも会食をしたり、打ち上げや忘年会、新年会など、食事を通して関係を深める事はビジネスでもプライベートでも同じでしょう。しかし、それが全てと言いきってしまうはあちゅうは、まだまだ甘いです。エクレアくらい甘いです。

東京である程度社会人経験をつむと、
246とか、骨董通りとか、明治通りとかアマンド前とか、
「知らないほうが悪い」的扱いをされる地名ってありますよね。

これはどうなんでしょう。六本木に務めているのにアマンド前知らないとかならわかりますが、東京生まれ東京育ちだって、骨董通りを知らない人だっているかも知れません。そういうことを慮らずに、得意げに「骨董通りで〜」とか「アマンド前集合ね〜」とか言う方が田舎者でしょう。視野が狭過ぎます。

 

半径5メートルくらいしかないんじゃないですかね?

 

ザギンでシースーで、席順バミっちゃうの?とりあえず、そのイスわらっちゃってくれます?

 


Amazon.co.jp: 半径5メートルの野望: はあちゅう: 本

 

プロなら

 

北緯35度39分46.541秒、東経139度43分55.812秒」

 

絶対座標で指定します。これなら間違えようがありません。5次元の世界からでも情報を伝えることができます。

 

ハイアマチュア

 

「東京都港区六本木6-1-26」

 

住所で指定します。

 

気が利いた人ならば、「目印はアマンドというピンクの看板のお菓子屋さんで、地下鉄の3番出口から出口を背にして右方向に50mほど・・・」と言います。

 

「アマンド前集合ね〜」は、そうやってお互いの認識が合致して、プロトコルとして通用するようになってからです。言いたい事をUDPで投げっぱなしにすることに慣れてしまっているはあちゅうには、TCP/IP3ハンドネゴシエーション3ウェイ・ハンドシェイクでコミュニケーションする我々の配慮はわからないのかもしれませんが・・・

ご飯好きは「お店、適当に決めておくね」なんて間違っても言わない。
「何食べたい?」「行きたいお店ある?」
とまずはこちらの意見を聞いてくれます。

そして、ちょいちょいとやりとりがあった後、
「じゃ、予約しておくね」となる。

お店(食事の内容)に重きを置く人もいれば、二人の時間(会話とか落ち着けるかなど)に重きを置く人も居ます。楽しい時間が過ごせるのであれば、ファミレスだって良い場合もあります。人気の店に3時間並んで入るのも、待っている3時間すら苦にならないならそれも良いのではないでしょうか? もし、好みの店などがあるのであれば、最初にそれを添えて店選びをお願いするというのもありです。

 

それが「(自分からは具体的な事は言わず)相手が自分の意向をヒアリングしたり、察したりして、最終的に自分の気に入る(それ以上の)店を選び、待ち合わせや送迎を完璧にこなすのが当然」というのが標準なのだというと、もはや将来を考えてつき合いたいと思う男性は地雷臭を感じて避けるでしょう。

 

そんな要望に応えてくれる相手は、刹那な関係を期待する下心ある場合か、お父さんくらいです。


高級レストランで背筋を伸ばして素敵なオトナの女に!【連載:池田美樹のオトナのたしなみ研究所 Vol.4】 - Woman type [ウーマンタイプ]

 

はあちゅうを始め、視野が半径5メートルの女性にはこのコラムを読んで是非、ステキな女性になってもらいたいと思います。

 

「道に疎い男は食に疎い」。
この意見は割と説得性があるのではないでしょうか。
女子の皆様が男性を見る際の指標のひとつにでもなれば幸いです。

店選びに疎い女は、男を見る目にも疎い

この意見は割と説得力があるのではないでしょうか?

非モテの皆様が、女性を見る際の指標のひとつにでもなれば幸いです。

 

 

 まぁ、相手がいなければ、どうという事は無いのでありますが。